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最近のリトル東京

このページは、りとるとが寄稿した最近のリトル東京の風景です。

急激に変わりゆくリトル東京の雰囲気の一部を感じていただければ幸いです。

 
新しいライブの風〜
リトル東京ライブハウス
“2ND Street Jazz
いまやリトル東京は
住宅ブーム!!
ダウンタウン最古の
クラブバー
頑張れ三世!
町の活性化に心血を注ぐ
ボランティアたち〜
“ブライアン鬼頭”に続け!
vol.96 vol.93 vol.89 vol.84

リトル東京情報 Little Tokyo Info
新しいライブの風〜
リトル東京・ライブハウス“2ND Street Jazz”
vol. 96> 12/15-12/31号
 静まり返ったリトル東京に、深夜まで若者たちで賑わう憩いの場があるのをご存知でしょう か・・・
まるでサンセットかヴァイン・ストリートかとも思えるほど、日本(系)人以外 の人種の多いことに驚かされる。その名も”2nd Street Jazz” (366 E. 2nd St.,Los Angeles, CA 90012) エンターテイメント・ライブが連日行われているライブハウスである。カウンターバー を入れても60席程度の小さな店ではあるが、ステージにはグランドピアノ、音響装置、照 明も設置され、さまざまな音楽ジャンルにも応えられるようになっている。

 元はと言えば、80年代後半、日本からの大手企業がロサンゼルス・ダウンタウンに進出し た当時に高級ナイトクラブとして活躍の場をみせた店であった。しかしながらバブル崩壊後 の日本企業の撤退や9.11 の煽りを受け、店はやむなく閉業へと追い込まれ、長らく閉ざされ たドアは栄枯衰退の影を落としたままであった。ところがここ数年前よりリトル東京と周辺の アートディストリクトの再開 発は、新たなダウンタウンの“ 文化村” 作りを目指す勢いがあり、従来のリトル東京とは異なる 人の流れが動き始めている。

 そのような中、”2nd Street Jazz” のオーナーである松本氏は数年前より病に侵されながらも 毎夜バー内に立ち、“ 折角のステージをあらゆるミュージシャンに提供したい” という強い願望から、連日ライブコンサートを 催している。松本氏や彼を支え る妻、加えて人種に関係なくあらゆるボランティアがいつしか集まり、連日エンターテイナーの裏方として サポートにあたっ ている。

 「エンターテイメントシティーとしてのロサンゼルスはあっても、いざ音楽を志す者の発表の場には 限界があり、 腕をみせるチャンスがない」とサポーターの一人佐久間忍氏(Mr.Ramen オーナー)は語る。実際” 2nd Street Jazz” をオープンして以来、どこからともなくその名を聞きつけたミュージシャンからの依頼や予約が入り、 今では2ヶ月先まで連日ブッ キングされている、と松本氏は言う。 ヒップホップ、R&B, レゲェ、ソウル、ファンク、フュージョン、そしてジャズと幅広いジャンルのエンターティナーはもとより、 観客層もまた多岐にわたっている。人気バンドには一晩で総勢200 人以上の観客が詰め駆けることもある。もちろん、日本からミュージシャンをめざして米国にやってきた 若者にも格好の場となる。

 「若者だけではありませんよ・・」と語るのは、 3年前より「午後のシャンソン」と銘打って、お客様が主役となるステージをスタートさせたシャンソン歌手の コンノ・ヒロキ氏がいる。コンサート形式で歌う楽しいシャンソンライブは、日本人のご婦人方やリタイヤ後の紳士淑女たち のコミュ ニティの場としても人気のスポットになりつつある。(毎月第4日曜日:午後3〜5時、ライブハウスで ピアニストの演奏 と共に歌う。www.konnohiroki.com

プロフィール・・・ボーカリスト:1988 年にシャンソン歌手としてデビュー。 シャンソンの傍らジャズも歌い始める。1995 年にハリウッドの ミュージシャンズ・インスティチュートを首席卒業後はロサンゼ ルスに拠点を移し、音楽活動を再開。CD 発表、コンサート多数、 ボーカルインストラクターとしても活躍中。

  2nd Street Jazz ・12月のライブ・スケジュール
12/15 Gary Kanda Concert
12/16 DJ Night Jesse Corral
12/17 Rock?n Roll Night
12/19 Jazz Night Fukushima
12/20 Jazz Night Open Mike
12/21 Rock & Roll apache of Blk
12/22 Jun J.RR(Japanese Rock Group)
12/23 DJ Night Israel & Adriana
12/24 Rock?n Roll Night Open 7:00p.m 〜 2:00a.m
18 歳以上/ 飲酒は21 歳以上 (コンサートによりカーバーチャージ有り。Ask:213-680-0047 www.2ndstreetjazz.com )
12/25 Konno Hiroki(Chanson)3-5pm Miyuki X?mas Party Asian Night
12/26 Jazz Night Fukushima Piano Trio
12/27 Jazz Night Open Mike
12/28 Rock & Roll apache of Blk
12/29 DJ Night Israel & Adriana
12/30 Jazz Concert(2 Group)
12/31 CountDown/Owner's Birthday
リトル東京情報 Little Tokyo Info
いまやリトル東京は住宅ブーム!!
vol. 93> 11/1-11/15号
 1970年代よりリトル東京は商業ベースの建造物が大半であり、住宅としての建物はシニアシチズン用のアパート「東京タワー」や都ガーデン、東京ビラが主流でその他小さなホテル・アパートを入れても居住人口は約1200〜1300人余りと推定されていました。ところがここ1〜2年の間にリトル東京内だけでも3000人以上の人口増加が見込まれており、近隣のアートディストリクトやシビックセンター周辺のロフト居住者も入れると1万人を超えるであろうと言われています。(DownTown News 9/19)この建築ラッシュは市の再開発プロジェクトの一環ではありますが、LA近郊の住宅の値上がりによって、マイホームを実現できない人々が都心に戻ってきている現状や、折からのガソリンの高騰により嵩む交通費をセーブしようとする人々のニーズに反映した傾向の現れとみられています。

 現在リトル東京に建築中の建造物について紹介してみましょう。
・アラメダ通りと1st、今秋(サンクスギビングまで)には完成予定の303ユニット、総工費は65ミリオン。現在建築は最後の仕上げと周囲のランドスケープを残すだけとなっています。間取りはスタジオタイプ、1〜3寝室を含む4つのパターンに分かれており、広さは、504〜1226スクエアフィート。開発業者であるトラメルクロー・レジデンシャル(Trammell Crow Residential)によれば、当初はアパートとして建築していたがユニットとして販売することも現在検討中であるとのこと。この他にも2号館、3号館も今秋より着工の予定で、2号館は117ユニットでアーティシャン・オン・2ND(Artisan)と呼び、3号館は210ユニットでさらにクリエイトした建築コンドを追加する予定とのことです。

・2NDとセントラル・アベニューの角、6階建て128ユニットからなるスタジオ、1〜2寝室のラグジェリー・アパートで、プール、スパ、フィットネスの設備も兼ね備えています。アパートの広さは400〜1100スクエアフィートでレント平均単価は$2.45/Sqft.です。またこのアパートには12500スクエアフィートの小売商業スペースが付帯されていることも大きな特徴となっており、128ユニット中約20ユニットについては低所得者用に価格調整されています。昨年から着工されてきたこの開発にはUSCやSCI-Arc. の学生、居残り夫婦、市庁舎、近隣の財務関連施設で働く若年層のサラリーマンから起っての願いもあって推し進められてきたものです。完成後はVenice-Based Susan Narduli によるパブリックアートのイルミネーションが施され、来年4月には開所予定となっています。

・3RDとサンペドロストリートの角、丁度日米文化会館前に位置するシニア向けの高級コンドミニアム。世帯数127、総工費35ミリオン。部屋の広さは775〜2100スクエアフィートの1〜3寝室。付帯施設としてスイミングプール、スパ、エクササイズルーム、コートヤードガーデンを含む8階建ての建築。開発業者のトーマス・ワンによると、総面積210,000スクエアフィートからなるこの施設には一階に3小売店が入居、地下駐車場、またテナントとしては近くの洗心仏教会も予定されている、とのこと。現在は水道、電気の配線工事に取り掛かっており、12月完成を目途に作業を展開させているということです。聞くところによれば、既にプロパティは完売しており、シニアシチズンが車を操作しなくても買い物、病院、寺、協会等に便利な立地条件として、リトル東京を選んでいる理由が伺えるとデベロッパーは語っています。

 このほかにも、リトル東京近隣のダウンタウンエリアでは、旧ビルディングをリモデルしたロフトがたちどころに増えており、ビジネスの活性化という意味での居住地区の拡大化には賛成ながらも、交通渋滞や排気汚染、治安、雇用者の駐車場問題等、先の見える難題には一向に解決策を見出さないまま、建築ラッシュブームが先行している現状を危ぶむ声も少なくありません。新旧の地域住民による話し合いの場やコミュニティケアの関心と協力を呼びかける組織力の強化が今後一層求められる点、と各住民連合代表者の間でもミーティングを設定する準備が推し進められているということです。
リトル東京情報 Little Tokyo Info
ダウンタウン最古のクラブバー
vol. 89> 9/1-9/15号
リトル東京のライブミュージックといっても“カラオケ”から流れる演歌や和製ポップばかりではありません。ここに紹介するクラブ・バー“Little Pedro’s”はロサンゼルスダウンタウンでもっとも古い、歴史的なクラブバーと言われ、位置的にはリトル東京1st.ストリートの最東端、西本願寺の隣路、Hewitt St.,の角にあります。このクラブは1899年に始まったと言われています。当時1st.ストリートに架かる ファースト・ストリート・ブリッジは現在のコンクリート製の橋とは異なり、木製でしかも橋の袂(たもと) が馬車の循環経路となっていたことから、ロサンゼルスの通勤客の停留所となり、憩いの場が設けられるようになったのです。

 DownTownNewsによる2005年度、Down Town Best Live Music Barに選ばれる!!  現在のリトルペドロス、外観ではなにやら南米か、はたまたアラジンのランプでも出てきそうな建物ですが、中に入るときちんとしたバーとレストラン、またエンターテイメント用のステージもセットされた大きなライブ設備が用意されています。  ここ数年、アラメダ通り/1St.から東に1ブロック入ったトラクション通りを中心に、旧産業ビルを改造したロフトが急増し、ダウンタウンに多くのアーティストが居住するようになりました。そのためリトルペドロスは、彼らのギャラリーのオープニング用打ち上げパーティーやストリート系バンドの二次会用パーティースポット(Ozomatli Performance等)としても新たに脚光を浴びるようになりました。ダウンタウンニュースによる、2005年度ダウンタウンベスト10の べストライブミュージックバーとしても選らばれています。

  ライブミュージックとしては、毎週火曜日、リトルペドロス・ブルーボンゴと称してブルースジャスのソロシンガー、ミッキー・チャンピオンが80?歳とは思えない迫力のある声量で現役さながらのパフォーマンスを見せてくれます。(毎火曜、夜11時以降はフライドチキンとコーンブレッドがFree)  その他サマータイムジャムとして毎週水曜日にはPerreoが西海岸では最高のレゲェナイトをパフォームしてくれます。ダンスパーティのディスコDJゲストは週替わりで、ニューヨーク、プエルトリコ、ドミニカ共和国等からも集められ、生のカリビアンサウンドを十分味わってほしいというのがオーナーの一人で、またMoLAA(Museum of Latin American Art)の音楽監督でもあるAlexis Riveraからのメッセージです。

 「一人でバーでゆっくり飲むのもよし、バースデーパーティーで盛り上がるのもOK!(因みにバースデーボーイ・ガールにはドリンクが無料)気軽に立ち寄ってもらえれば、リトル東京の夜がまたご機嫌になるよ!」とは マネージャのジョセフ。忙しく立ち回りながらもフレンドリーにお客様との会話は止まらない。但し、パーティーの場合はスケジュールがかなり前よりブッキングされているため、早めの予約が必要とのことです。 イベント情報はwww.elittletokyo.com でお確かめ下さい。
リトル東京情報 Little Tokyo Info
頑張れ三世!
町の活性化に心血を注ぐボランティアたち〜
“ブライアン鬼頭”に続け!
vol. 84 > 6/15-6/30号
 〜リトル東京防犯協会の発足〜
 リトル東京は1980年代に入ってロサンゼルス市の再開発地域に指定されたことにより、古い建造物を取り壊す市条令を回避することができなくなりました。しかし、戦前からの思い出深い町並みを一部だけでも残存したいという一世、二世からの熱い請願は当時のトム・ブラドレー市長の心を揺るがし、一街北側を市の文化遺産として存続することで承諾されました。 歴史的建造物は残ったものの、街は暗く、夜はホームレスが軒下を占領するなど、治安は決して回復されたとは言えませでした。1982年にリトル東京防犯協会が発足されたものの、人々の関心の低さから解散したのも同然の状態でした。

 その後顧客や観光客、またリトル東京を脅かす車両強盗や強力な物乞いが増加し、商店街にとっては大きな痛手を負う状況に追い込まれました。 1991年、一街沿いの数名の商店主が思い余って立ち上がり、それが発端となって同協会は再スタートを迎えることとなりました。その時のボランティア・リーダーがここに登場するブライアン鬼頭(きとう)でした。

 和菓子屋「風月堂」の歴史
  ブライアン鬼頭は創業100年、リトル東京で3世代にわたって家業の和菓子屋を営んできた「風月堂」の3代目店主であります。1956年生まれの彼が子供の時から目にしてきたものは、粉だらけの両親と早朝より湯気の立ち昇る店裏の作業場でした。1903年に日本から家族と共に米国に渡ってきた祖父精一は、1907年にかき氷をサーブするカフェテリアを開店し、その後日本で学んだ和菓子の技術を基に饅頭や餅、練りきり等を造り始めました。これが現在の「風月堂」の前身であります。 当時のLAダウンタウン及びリトル東京周辺には約3000人余りの日本人移民が居たといわれています。彼らは週末にはリトル東京で集会を催し、茶や和菓子を食するのを楽しみとしていました。特に正月には故郷を想いながら雑煮や餅を買い求めました。

 そのような中で、ブライアンの父親であるロイ・鬼頭は1921年にリトル東京で生まれ、一時日本に帰ったものの、米国のカレッジで経理を学ぶ夢を抱き14歳で再渡米しました。その後、第二次世界大戦が勃発し、鬼頭ファミリーも泣く泣く「風月堂」を置き去りにし、ワイオミング州ハートマウンティングでの収容所生活を強いられることとなりました。当然のことながら、収容所内での隔離された生活では、日本人町に暮らしていた頃の自由闊達な時間やスペースを求めることはもはや無理に近いことでした。しかしながら、食生活においてはそれぞれが知恵や工夫を凝らして食卓に潤いをもたらしました。そのような中で「鬼頭ファミリーによって造られる、餅や饅頭にどれほどの人々が癒されたか分からない」と、当時を振り返り、同じ収容所内での生活者の一人、Yoshinaga氏は今も語ります。 ブライアンの父親、ロイは1945年にウエストコビナ出身の母親、カズ子と結婚、長男、二女が生まれ、そして1956年には次男のブラインが誕生しました。当時ロイは家業とは違ったビジネスを思索していましたが、逸早く終戦後リトル東京に戻り「風月堂」の姿を見るなり、その荒廃した我が店の様相に驚愕させられました。気づいた時にはハンマーや工具を集め、店の修繕に取り掛かっていました。父親の精一は度重なる疲労がもとで1951年に亡くなり、もはや家業を継承するのはロイの手に委ねるしか道はありませんでした。

 1955年、「風月堂」はリトル東京の1街に周囲の応援を得て店構えを整え、再開への火蓋を切ったのでした。 次男ブライアンは、長男、二女とも家業を継ぐことを拒んだことから、父親の片腕として1980年頃より和菓子造りに励むことを真剣に考えはじめました。また、リトル東京の再開発と共に、日本人町でのビジネスの建て直しも同時に計画して行かなければ、リトル東京の過疎化は避けられないのでは、という大きな壁に直面していたのも事実でした。 我が町は自らの手で守る! リトル東京に人を呼ぼう!そのためには町の安全対策が何よりも重要課題であることをブライアンは痛く感じていました。それまでにも警察への陳情、ポリスマンとの牽制、公聴会への不満など、町の建て直しを考えれば考えるほど、その山積する問題の糸口は堅く閉ざされるばかりでした。 そんなある日、3人の商業主と話し合っているうちに、ブライアンはある事に気づかされたのです。警察を叱責するエネルギーがあったら、何か自分達でもできないか? そう視点を変えた途端、3人の仲間の回答は同じでした。「一街の小さな区域からパトロールをボランティアで始めよう!」と。 1993年1月よりこのパトロールは開始されました。

  この「地域に根ざした警察活動」は、やがて50人ものボランティアが4街、5街までパトロールを拡大する結果に導きました。当初パトロールグループは懐中電灯、無線、蛍光グリーンのユニフォームを身に着けただけのもので、浮浪者からの抵抗にも遭いました。しかし、今日では彼らのユニフォームが見えただけで、その地域から浮浪者が立ち退くほどとなりました。パトロールグループは武器を所持したり、暴力を行使するのではなく、ただ警察の目となり耳となって行動することをひたすら守り続けました。その甲斐あって、警察の適切な指示と警察には届かない市民の声がパトロールを通じて、相互に理解し、助け合う力となったのはブライアン達でも当初では考えも及ばなかった成果でした。

 ブライアンはこの20年を振り返り次のようなコメントを残しています。「我々のようなリトル東京の一市民であっても、わずかな動機と行動によって、予期せぬパワーを発揮することが可能であるということを体得しました。観念や偏見、憶測による判断ではなく、どのような場合も根気よく、説得と理解を深めることによって、何らかの接点を見出すことができるのではないか、それが町の活性化への第一歩につながると信じています」と。

 交番について: 1996年5月、リトル東京防犯協会は1街にリトル東京交番を設立、サービスを開始する運びとなりました。同交番は、ボランティアが電話や訪問者に対応できるインフォメーションセンター、ロサンゼルス市警の立ち寄り所として機能するものです。また、警察官による犯罪被害者からの事情聴取、被害書作成準備の場所であり、交番ボランティアパトロール員の本拠地でもあります。しかも日英両語による安全情報、一般的な地域情報を提供するボランティアが詰めており、観光客や地元民に対しても言葉の不便なく対応できるところが特長となっています。 交番の運営は: リトル東京防犯協会はボランティア会員からの会費や寄付により、独自のプログラムを遂行し、交番の維持に努めています。現在交番は、徒歩パトロールからさらにその領域を広げ、ボランティアの自転車パトロールを加えたり、他のコミュニティー機関と毎年行うリトル東京清掃プログラムをスポンサーとなって推進しています。 町の安全と啓蒙運動 交番は市民や観光客に対し、予期せぬ事件や被害に巻き込まれないように、事前の教育や啓蒙活動のセミナーも開催しています。例として、高齢者対象安全セミナーから合気道護身術セミナー、子供の自転車、交通安全セミナー等です。またロス市警と教育プログラムを共催し、コミュニティー機関の会議場として施設の提供も行っています。 交番は地域の住民事業者だけでなく、交番訪問者への安全、サービス、サポートの場としても、訪問者やボランティアに利用されることを望んでいます。ボランティアに興味、質問のある方はお電話でお願いします。
電話番号:213-613-1911 交番住所:307 E. First St., Los Angeles, CA 90012